WEDGE REPORT 高校生が考えた福島の未来
01 無題(Wed)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5255

内外の高校生が福島県いわき市に集まり、未来のまちづくりについて話し合う「ハイスクール世界サミットin福島」が8月6日から8日の3日間に渡って開催された。実行委員会である「未来のまちづくり・みちづくりフォーラム実行委員会」を組織したのは、福島県広野町のNPO法人ハッピーロードネットを中心に、国や県、いわき市、青年会議所などである。

アメリカ、ポーランド、イタリア、ドイツ、タイ、スーダン、リビア、エジプト、パキスタン、インド、中国、カザフスタンから参加者が集まった

テーマは「福島から世界へ発信する私たちの夢」

最終日の8日には、福島第一原発から最も近い大学である東日本国際大学で「環境エネルギー」と「福島の再生」という2つの議題について前日に討議した結果を高校生たちが発表した。

実行委員会は昨年まで国内の高校生を集めてのワークショップを行っていたが、今年は全国25校54人に加えて、アメリカやドイツ、エジプト等12カ国から20人の参加者も集めた。サミットの企画、運営については以前までに高校生として参加したことのある大学生が中心となった。初日の6日には参加者が常磐自動車道ならはパーキングエリアやJR富岡駅跡地などを視察、2日目には原発と自然エネルギーの比較や福島の再生・まちづくりをテーマに議論した。

最終日のフォーラムでは、アドバイザーとして安倍昭恵首相夫人や地元選挙区である森まさこ参議院議員、森昌文国土交通省道路局長、畠利行福島県副知事が登壇した。地元いわき市の清水敏男市長は「来年から18歳以上に選挙権が付与される。1人の有権者として自分たちの国、地域がどうなるかを考えていってほしい」と来賓挨拶の中で述べた。

「福島の復興(まちづくり)」の発表では、報道と実際の福島の姿にギャップがあるという声が県外の高校生からあがった。震災から4年が経ち、復興が進んでいるというイメージを持っていたが「意外と進んでいない」。震災当時と変わらないJR富岡駅の状態を見て「驚きとむなしさを感じた」という。

一方、地元福島の高校生は、県外の高校生から「福島には近寄りたくない」と思われていると感じていたが、討議をしている中で、逆に「(福島の)力になりたい」と考えてくれていると知り、驚いたという。ネガティブな情報ばかりが報道されているが、自分たちもSNSなどを使ってポジティブな福島の姿を発信したいといった前向きな発言もあった。

「今の福島には住みたくない」との言葉に

「復興とは少なくとも震災以前の福島に戻すこと」としたグループでは、震災前の福島の課題と震災後の福島の課題を分けて考え、地域の魅力を高めることが必要と提言。農業・漁業体験や地域の伝統行事をブランド化するなど地域活性化のための具体策が出た。

震災前の福島の課題としては、都市開発が進んでいないことや高齢化を挙げ、震災後の課題としては放射能による健康被害や故郷を離れなければならない精神的な問題を挙げた。興味深かったのは、発表の中で「『自分の故郷でなければ』、今の福島に住むことは難しい」との踏み込んだ意見が複数のグループが話し合った結果として発表されたことだ。他のグループでも、「浜通りに住みたいか?」との質問に対して、放射能の影響や生活の再建ができるのかが分からないといった不安から「住みたいとは思えない」との答えが出た。

高校生が考えた福島の未来 県外との溝、乗り越える「希望の一歩」

浜通りに住みたいとは思えない。この意見を受けて地元の高校生はどのように感じたのか。相馬高校に通う3年生、太田魁世さん(18)に、サミット終了後に感想を聞いてみた。すると、「震災を経験していない高校生と話して、被災者の気持ちを理解していないと感じたこともありました。でも、もし自分も同じ立場だったら『福島には住みたくない』と思っていたのかもしれない。発見があったので参加して本当に良かったです」と教えてくれた。

とはいえ「浜通りには住みたくない」と言われると腹立たしい部分も当然ある。浜通りへの帰還が進んでいないとの報道もあるが、少しずつ避難した人が帰ってきている現状もある。原発の影響で帰還できない人だけではなく、震災後の4年間、自分のように相馬市に住み続けてきた人がいる事実にも目を向けてほしい。

「浜通りも意外と安心して暮らせているんです。そのことをもっとメディアが伝えていって欲しい。そうすることによって、他県の人からも『住みたいなあ』と思ってもらえるような町にしていきたい」

県外の高校生からは「浜通りにはいい部分もたくさんある」という声もあり、だからこそ多くの地域活性のための具体案が出た。

実行委員長の西本由美子さん(62)は「海外や県外の高校生に現地を見てもらえたことが第一歩。復興は人と人との心のつながりのなかにあり、また福島に来てくれることが本当の福島の再生」と閉会の言葉を締めくくった。

記者は最終日8日のみを取材したが、県外や海外の高校生と福島の高校生が生の交流をする中で、多くの発見をしたことがうかがえた。サミットの3日間では、外国人の高校生と英語でやり取りしなければならず、また国ごとに考え方も異なる。コミュニケーション上の難しさだけでなく、原発の話題は人の感情も考えなければならず、「理屈だけでは動かないこと」に討議することの難しさを感じたという参加者の声もあった。

アドバイザーとして集まった登壇者

たまたま教頭先生がサミットの参加を勧めてくれたことや、他の国の人と話せるからという直接福島につながりのある動機では参加していなかった高校生が、終了後に「高校生として出来る範囲でエネルギー問題や復興を考えていきたい」と、福島を身近に感じ、高い意識をもつことができたことは意義深いことだ。

また、今回のサミットが、かつて高校生として参加していた現・大学生が中心となって企画したことにもサミットの意味を感じた。学生代表の東北大学理学部4年の日置友智さんは「複雑化している問題を解決するには、他者と協力していくことが不可欠だということを高校生たちに伝えたかった」と教えてくれた。大学生も高校生も普段の学習の合間をぬい、福島の未来を考え、今回のサミットのために準備を進めてきた。

震災から4年半が経とうとしているが、震災を契機として県外の高校生たちが地元の高校生と本音で議論を重ねた経験は今後、参加者が生きていくうえでも貴重な経験となると感じた。このサミットをきっかけとして、参加した高校生たちは福島県と県外との認識の差を埋めてゆくための「第一歩」を歩みだす。